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(仮)残したい影~第一章(參)~ノンフィクション

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第一章(參)

粉飾を始めてから約七年が経過した。
私は精神を患ってしまい、都内の大学病院の精神科に通っていた。
精神科に通う直前に頭の中で燻っていた恐怖が一気に爆発したのだった。
それは、借入金が極度に膨れ上がり、不安の毎日を過ごしていたこと。
自分が犯してしまった罪と責任。
次第に自分を責め、自分自身で責任を取るためにはどうしたら良いのかを考えることが中心となった。


その当時、私は会社と個人の生命保険の契約が沢山あり金額も莫大だった。
死亡時の保険金の受取金額は合計で八億五千万円だった。これが事故だった場合には1.5倍の十二億七千五百万円を受け取ることができた。
全ての銀行に全額を返済することはできないが、社員を守ることと父の土地を多少は守ることができると考えていた。
武士は自刃することで責任を全うした。


自分の中にもその考えがあり、計画的に事故を装って死亡することを考えていた。決算書だけでなく死も偽装とはと苦慮はしていた。


結局、自分自身の命を以て責任を全うすることは、正しいとの極論に辿り着いたのだった。また、愛するものを守るために死ぬことは美しいとさえ思った。
自己犠牲の精神こそが本物の愛情と信じていた。
そして、事故死に見せかける計画を作り始めた。
完璧な計画はできたが、実際に実行することができなかった。


実行の瞬間に幼いふたりの息子の顔が浮かんでしまったのだ。
息子たちの将来を考えたら死ぬことができなかった。
命があれば、まだ策はあるのではないか?と自分にい言い聞かせた。
結局、ふりだしに戻ってしまった。


そして、相変わらずの悶々とした日々が続いた。
罪と責任の重圧に押し潰され、毎日が生きていて辛くなってきた。
もう罪だの責任だの関係ない。息子たちや家族、社員も関係ない。
兎に角、この状況から逃げたい。そのためには、死ぬしかない。
そう思い、新たな死に場所を探し、ようやく辿り着いた。
「あぁ、楽になろう」でも、先へ進めない。
死ぬことが生きることよりも怖くなった。
結局、死ねなかった。


余りにもの自分の不甲斐なさに延々と闇夜の中で号泣した。
「俺は自分で死ぬこともできない臆病者なんだ」
家には帰ったようだが道筋も何もかも覚えていなかった。
この時から一年間、記憶がなくなった。
そして、都内の大学病院の精神科に通うこととなった。
都内の精神科へは毎月一回、妻が連れて行ってくれた。


妻の話では診察の順番を待っている間、何時間も遠くを見ているような目をしていたと言っていたが、私は殆んど覚えていない。
診察時に妻は診察室の外で待っていたため、医師との会話は全く知らなかった。
医師との会話でうっすらと覚えているのは、私が「本屋に行きました」と言い、医師は「外に出ることは良いことですね」と言っていたようなことだった。


妻によれば生活は部屋に籠りきりで、扉の内側に運ばれてきた食事を時々食べ、テレビも観ることもなく本も読まずに何もしないでいたらしい。壁の方を見ている光景が多く、トイレも何時行ったのかもわからなかったと言っていた。


一年間そのように過ごしていたらしい。
生ける屍のようだったのだ。


精神科に通い続けて十二ヶ月目に変化があった。
いつものように診察を待っていた時に私が妻に話しかけたことだった。
妻は突然のことで心臓が止まると思ったと冗談交じりに言っていた。
私はその言葉をしっかりと覚えている。
「何か変な人が沢山居るな」だった。


自分自身が精神病を患い変な人となっていたので、この時まで周りのことも何も覚えていなかった。
診察時には医師と様々な話をし、来月からは自宅から近い心療内科へ行ってくださいと言われた。
私は急速というよりも一瞬で一年前の記憶に戻った。
今でも空白の一年間の記憶は全くない。

この空白の間、会社を経営していたのは父だった。
病気があるにも関わらず息子のために命を削って頑張ってくれた。
これこそが無条件の愛であり、自己犠牲の精神なのだ。
その父のお陰で今の私がいる。
父の寿命を縮めてしまったという責苦を背負いながらも強く生きることができている。
「お父さん、ありがとう」


粉飾を始めてから約十年が経過した。
極度の精神的ダメージを受けて立ち直っても、粉飾を銀行に打ち明けることはできなかった。
「どんなに借金を背負っても命までは取られない」という開き直りがあった。
当然のことながら来る日は来た。


「至急当行までお越し下さい」と全ての銀行の支店長から連絡があった。
私にとって必要なことは包み隠さず真実を語り、誠実に謝罪をすることだった。
「謝罪か」頭の中でそう思っただけだったが、オフィスで声に出して言ってしまった。
「社長、謝罪って何ですか?」経理部長が尋ねてきた。
彼は馬鹿ではない。薄々とは運転資金の疑惑を感じていたのは確かだ。
ただ賢い分、私に十年間何も尋ねてこなかったのだ。
「ん、いや、なんでもないよ」平然を装ったが顔には動揺が出ていたと思う。


覚悟を決め、本物の決算書を持ち、それぞれの銀行に向かうことにした。
最初はメインバンクへ向かった。
社長に就任してから何度ここに通ったことだろう。
支店長も二~三年毎に代わるため、私にとっては四人目の支店長だった。
激怒されるのを承知で来店したが、支店長はとても優しく対応してくれた。
私の謝罪を快く受け入れてくれたのだった。
私が話た全てのことを真実とし、誠意を認めてくれた。


そして、今後の返済計画を話し合うことで了承していただけた。
三年間の利息棚上げ。
五年間の元金棚上げ。
この計画で会社の体力をつけるということになる。
その他の銀行もメインバンクと同様の内容だった。
他行へのメインバンクからの働き掛けもあったことと思う。
十字架にかけられても仕方のない私に対し、全ての銀行がとても慈悲深く接してくれた。


父が作った借入金は約十三億。
その中には自宅建設での約四億の借入れも含まれている。
私が安易に増やしてしまった借入金は十一億。
合計で二十四億。
お金はプライドのために使うと、このようになってしまう。


会社とは利益を出してこそ意義があり、引かなければならない時は縮小または廃業しなくてはならないことがわかった。
当たり前のことが十数年わからなかった。
私は社長に就任以来、全く経営をしていなかった。
経営者ではなく詐欺師であり、利己主義者だった。


銀行との利息と元金の棚上げの約束ができてから約一年後。
メインバンクの自己資本比率が急降下し、増資をする話が出てきた。
支店長が私のところへ訪れて来たのは間もなくのことだった。
「増資の件ですが、社長のところで五千万お願いしたいのです」
「えっ?私の会社では無理ですよ。それは支店長が一番よくご存知でしょう?」
予想もしなかった無理な話だった。

「当行から五千万貸出しますので、それで増資をお願いしたいのです」
全くもって意味不明であった。
銀行からお金を借りて、その銀行に増資するのは、どう考えても理不尽だった。
しかし、いま頭を下げている支店長は私を許してくれた方である。
各支店での増資額集めのノルマもあることだろう。
本部に対しても私のために様々な便宜を図ってくれたことと思う。
メインバンクの姿勢が十字架への貼付けではなかったため、他行も足並みを揃えてくれたこともある。


私は意を決し、支店長の顔を立てるべく申し出を了承した。
彼の役に立ちたかった。借りた恩義は返すべきであると思った。
また、ここで破綻されてしまったら最悪のシナリオになってしまう恐れもあった。
県内の中小企業は次々と倒れて行くだろう。
そのようなことも頭の片隅にあったのは事実だった。
県内の多くの取引先からの増資の支援を受け、株価も持ち直してきた。


増資をした数ヶ月後のとある土曜日。
私は都内での仕事を終え、新幹線で駅のホームに降り立った。
構内のコンコースを抜け、階段を降りて行くと号外が配られていた。
号外の内容を見て愕然とした。
なんとメインバンクが破綻との文字がとても大きく見出しに出ていた。


暫く呆然と号外を持ったまま立ち尽くす自分。
「あの増資はなんだったんだ」怒りとも言える感情が一気に吹き出した。
「なぜ?なぜ?国は都市銀行を救済するのに地方銀行は見放すのか」
増資した株は一円になった。
以前から取引上の付き合いで所有していた株が七千万円。
増資の分の五千万円を合わせると合計で一億二千万円。


「何も言えない」


破綻したのだから銀行は一時的に国営になった。
破綻前の銀行との取り交わしは全て反故されてしまった。
三年間の利息棚上げの破棄。
七年間の元金棚上げの破棄。
全てが国営銀行との再交渉となる。
その他の三行とも再交渉となった。
一から出直しということになってしまった。
しかも一億二千万円分の株の損失もある。
「全てが銀行を欺いた罰なのか」そう思うしかなかった。


再交渉は四行とも足並みを揃えて、短期借入金を全て長期借入に変更した。
銀行によって借入金額が大小異なるので、返済年数も様々となった。長いもので三十年での返済ということとなった。
当然、金利、元金も併せて返済して行く。
私の会社は不採算部門を全て閉鎖した。
早期退職者を募り、希望者には優遇処置をとった。
会社の規模は四分の一まで小さくなった。
父が所有している土地を一部売却したが、それでも資金は回らないだろう。
この時からは、その時々にできることを精一杯実行することだった。


不運は続くもので、銀行破綻の数ヶ月後に父が他界した。
亡くなった原因は脳梗塞によるものではなく、長年患ってきた糖尿病の合併症によるものだった。六年程前から人工透析をしていたが、腎不全のため亡くなった。
亡くなる一週間前に急に体調が悪くなり、近くの大学病院に緊急入院。
家族四人が毎日二十四時間交代で看病した。
しかし看病の甲斐もなく深夜零時過ぎに息を引き取った。
息を引き取った時には病室には私しかいなかった。


母は不眠不休の看病疲れで体調が悪くなり、病室で父の担当医師に診てもらったところ、通常は低血圧だった母が高血圧になっていた。その場で車椅子に乗せられ緊急外来で処置を受けに行っていた。
私の妻は父の着替えを自宅に取りに行っている最中だった。
妹は子供が小さかったため、夕方には帰宅していた。

私は父が亡くなる一時間ほど前からふたりでくだらない話をしていた。
睡魔に襲われうとうととしていた時に父の声が聞こえた。
「ん?何?」
声が小さかったので、父の枕元に行って言葉を聞き取ろうと思い近づいた時に
「・・・」
「なんだい?」
突然ピーという医療機器の独特の音が静かな病室に鳴り響いた。
医師と看護師数名が直ぐにやってきて、心臓マッサージを行ったが、既に遅かった。


医師が父の死亡時刻を私に伝えた。
私にその言葉は聞こえる筈もなかった。
私は涙も出さず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


僅か数分前に父は生きていた。
父の手を握ると温もりがあった。
それでも父は死んでいる。
数分前の父の最後の言葉「・・・」
父は私に何かを伝えようとしていたように思う。
しかし、私には伝わらなかった。
私にとって一生離れない「・・・」


病室で死後の処置を終えたところで父の遺体は地下の霊安室に移された。
病院のスタッフがひとりいるだけで、家族が私しかいない霊安室。
この場所が父にとって一番寂しかった場所だろう。
私は線香に火を点け合掌した。
葬儀社のスタッフが近寄ってきた。
「この度はお悔やみ申し上げます」
私は言葉もなく軽く頭を下げた。
「当方の車でご遺体をご自宅までお送りさせていただきますが、よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いいたします」

私はこの寂しい霊安室から一刻も早く父を家に連れて帰りたかった。
「なるべく早くご自宅へ行かれた方がお父様もお喜びになられると思います」
葬儀社の方も仕事上、遺族の心情は察しているのだろう。
「早速お願いいたします」
私はゆっくりとした口調で静かに言った。
 
帰りの車の中で運転しながら私は泣きながら叫んでいた。
「なんで死んだんだよ!俺の所為だバカヤロー!」
自宅へ着くまでの三十分間、何度も何度も同じ言葉を叫んで号泣した。
午前四時、葬儀社の車と共に自宅へ到着した。
 
父の大好きな自宅にて近親者のみで密葬をし、二週間後に社葬を行った。
社葬が終わった半月後には、借入先の全ての銀行が容赦なく私のところへ押しかけてきた。
借入金の全額一括返済を求めてきた。
二十四億円の一括返済?
私の会社では一括で返せるわけもないので、気持ち的には開き直っていて楽だった。

一括返済を挙って求めてきたのには理由がある。
それは多額の相続税があるためだ。
推定ではあるが四億~六億円。
各行には全ての土地を任意で売却し、その中から返せるだけ返すということで合意した。
借入金よりも財産の方が遥かに少ないとわかっていたことなので、法定相続人には全て相続放棄の書類を裁判所に提出させた。

そして私だけがマイナスの財産を相続し、土地を売却していくことを決めた。
私だけは相続放棄をしても意味はなかった。
会社と父が負っている借入金の連帯保証人だったからである。
相続放棄をしてもしなくても私に待っているのは自己破産という四文字。

取引先への支払いは早々に済ませ、最後まで残ってくれた大切な社員達には会社の就業規則に法り退職金は倍額。そして給料の三ヶ月分を追加して皆を送り出した。
社員の皆が私を気遣ってくれたことがとても嬉しかった。
それは私の心の中の宝物となった。

 
>>> to be continued

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