第二章(弍)
二日間連続で飲むのは何ヶ月ぶりだろう。
少し会社の整理で遅くなったので店に着いたのは二十三時に近かった。
店のドアを開けたら結構混雑していた。
金曜日の夜だったため、ボックス席は全て埋まり、カウンターに二人の客。
ほぼ満席状態だった。
完全に酔ったママがやってきた。
「よっぴ~遅かったぢゃない。予約席まで用意してたのに」
「じゃぁ、また出直してくるよ」
「だいじょぶだよ。予約席に座ってる客を退かすから」
そう言って一番奥のボックス席に座っている若者二人をカウンターに移動させた。
相変わらず無謀な接客だ。
「よっぴ~、席が空いたよ」
「店が混んでるのに俺ひとりでボックス席でいいの?」
「いいんだよ!ヤツらは知り合いだし、あたしもよっぴに内緒の話があるから」
私はカウンターに移動させられた若者二人に軽く頭を下げ奥の席に座った。
席につくなり、ママが私にもたれ掛かってきた。
「なぁ~んか酔っぱらっちゃった」
かなり酔っているようだった。
「おい大丈夫かい?」
酔った勢いで、ママは足元に手を伸ばして何かをやっている。
「私のパンプスの匂い嗅ぐ?」
そう言って片方のパンプスを差し出してきた。
「あ~っ!嗅がないって!内緒の話ってコレかよ!」
自分がまだ素面なのでママのテンションにはついて行けない。
「ってのは冗談で、よっぴはこの席が何の席か解る?」
「一番奥のボックス席だろ?」
素面の私は普通に答えてしまった。
「え~っ!よっぴ忘れたの?」
「この席で何かあったかな?」
「この席はさ、オープンの日によっぴが冷えたドンペリのゴールドを持って来てくれて飲んだG席だよ」
そうだった、ママに言われて思い出した。ここはG席だ。
このお店はカウンターは一番から五番の席があって、ボックスはA席B席C席そしてG席という振り方だった。
客は伝票を見ないからお店のスタッフしかわからない。
その日にママがゴールドを飲んだ席だから、この席をG席にすると言っていたのだった。
「思い出したよ。そうだったG席だったよな」
この店のオープンの日に都内で仕事があった。
ドンペリゴールドを都内で調達し、そして木箱から出してクーラーボックスに氷と一緒に入れて運んで来たのだった。
この日は首都高が混んでいて、オープンの時間に間に合うかヒヤヒヤしたものだった。
このプレゼントを開けた時のことを、ママは早口で一気に捲し立て話していた。
「よっぴはさ、黒のスーツ着て木箱抱えてきて、それがドンペリのゴールドだからビックリ!、木箱開けたらボトルが冷えてるから三重丸でビックリした!超~イカしてたよ!ホストみたいだった!超~サプライズ!アンド超~リスペクト!」
「お祝いにイイかなって思って、冷えてないと美味しくないからね」
「ホントホント、超~美味かった!ゴールド飲むなんて一生で一度だと思った。未だにあれっきりなんだけどね」
今でもこんなに喜んでくれていることが嬉しかった。
「ずっと覚えててくれて嬉しいよ」
「忘れるワケないぢゃん。箱だってカウンターの後ろの棚に飾ってあるでしょ?箱の中にはキレイにした瓶も入っているよ。コルクもコルクのカバーも」
言われてみればドンペリゴールドの木箱が飾ってある。
ドンペリゴールドの木箱は一本用の高級木箱となっている。
しかし、コルクを抜く前の被せてあるカバーまで取って置くのはいかがなものかと思ったが、それ程までに嬉しかったのだろう。
「本当だ。贈った当時は覚えていたけど、きょうは気がつかなかったよ」
「この街でね、ドンペリゴールドを空けた店は無いと思うよ。他の店に無くてあたしの店にあるのが自慢なんだ」
ママは拳を二つ鼻の上に乗せて天狗の真似をしてふざけた。
「G席ってイイ名前だよな。俺も気に入ってるよ」
「でしょ~、で、この席はVIP席でもあるんだ」
「あ~始めて聞くぞ。ここがVIP席?」
ママに合わせてしまった。
「そうそう、よっぴ席!よっぴはいつもVIP!どこでもVIP!」
ママが調子に乗り始めた。
「あの~それは言い過ぎでしょ?」
「ぢゃぁさ、あたしと奈美を五年くらい前に六本木ヴェルファーレに連れていってくれたぢゃない?あの時VIPルームに座ったぢゃん」
「まぁそうだけど、あまりにもウルサイのは苦手なんでね」
「でもさ、よっぴはヴェルファでVIPぢゃん」
「支配人と仲がイイからかな?」
「だってさ、あの時は地元で飲むって言ってたのがいきなりヴェルファになってビックリしたよ。ついでに目黒のウエスティンまで二部屋リザーブするから」
「だからね、理恵がヴェルファに行きたいって言ったからそのまま向かっただけ。飲んだら車では帰って来られないからホテルを予約したの」
「でもねでもね、ヴェルファに着いたら黒服さんが来て車のドアを空けてくれて車を預かってくれたでしょ?だからVIP~」
「車で行ったらそういう風にしてくれることになってるの」
「え~私が車で行ったら無理ぢゃん」
「・・・かな」
「だよね~、よっぴと一緒だと黒服ちゃんのエスコートでVIP席へGO!ドレスコードはデニムでもスルーパス!エレベーターも他の客を下ろしてオレ専用!だから超~VIP!」
ママはラップ調で話したが、よく覚えているなと感心した。こういう初めての体験は忘れないものなのだろう。
「だから、支配人と仲がイイからそういう風にしてくれるの!」
「たぶん違うよ~。よっぴはずっとVIPにいたけど、あたしと奈美は下に踊りに行ったでしょ?」
「うん。そうだね」
「そしたらね、ホールの黒服さんによっぴのお連れの方ですよね?って声かけられて、そうですって言ったら、お飲み物は何にいたしましょう?だってさ!タダで飲み放題!」
そのようなことがあったのは知らなかった。
私はスタッフによく知られているし、エントランスで既に私が来店していることをインカムで全てのスタッフに伝えてあったのだ。
「もう言い逃れできねぇぞ!よっぴは何処にいってもVIP~目黒のウエスティンでもレイトチェック夕方五時までタダ~だから超~VIP~」
嫌になるくらいよく覚えているものだ。
「そして~~~!」
私はママの言葉を遮った。
「VIPを何回言ってるの!お客さんがみんな見てるぢゃん。恥ずかしいよ」
「あ、ゴメン。でもさ、覚えてるよっぴのVIP伝説を全部言おうと思ってた」
「わかったから、そろそろ鏡月ちょうだい」
もうVIPは聞きたくなかった。それは過去の話だから忘れたい。
店に来てから暫く経つのに、ママが酒を出すのを忘れているのは酔っている所為だけなのだろうか?私にはわからなかった。
内緒の話は何処に行ったのか。
ママがマッカランの十二年を持ってきた。
「あれ?鏡月って言ったけど」
「これはあたしの奢り。よっぴには昔から世話になってるし、あたしの店ぢゃよっぴしかマッカラン飲む人いないから」
ママはマッカラン十二年を私しか飲まないのをわかっていて、ずっと取って置いてくれたのだ。このことが内緒の話のサプライズだったのだろう。
最近の私の事情をなんとなく知っていて、気を遣ってくれたようだった。
「なんか悪いな。遠慮なくご馳走になるよ」
ママがさり気なく耳打ちしてきた。
「でもね、帰りに焼肉奢って。わたしと令未の二人分」
気遣いなのか、等価交換なのかわからなくなってきた。
ママと令未と焼肉行くのが内緒の話なのか、本当にママには参った。
「今日はお店の分は全部奢るから。いいよね?」
「ありがとう。気を遣ってくれているんだね」
「オイオイ!ストイックになるなよ!飲むぞ~」
ママはいつもこのように元気だが、酒を飲んで何かを忘れようとしているのではないかと私は感じる。
>>> to be continued